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盛岡ぺっこ歩き

銘所石割桜銘所
巨大な花崗岩の割れ目から育ったエドヒガンザクラ。樹齢は360年を越える。
明治初期には「桜雲石(おううんせき)」と呼ばれていた。大正12(1923)年、国の天然記念物に指定されている。

銘所中津川銘所
盛岡市内を通り北上川に合流する川。市街地を流れているが水面は清らかで、秋には鮭が遡上してくることで広く知られる。

銘所盛岡城趾跡公園銘所
旧南部盛岡城跡を開放。市街地の真中にあり、誰もが気軽に訪れ憩える公園として親しまれている。
日本の100名城の1つに数えられる美しい石垣に、豊かな樹木が四季の彩りを添える。

銘所岩手銀行中ノ橋支店銘所
東京駅舎を設計した辰野金吾により、明治44(1911)年に建てられた赤レンガの洋風建築物。現在も現役の銀行社屋として使用されている。国の重要文化財。



盛岡の主なお祭り

盛岡秋まつり「山車」
山車祭り
愛馬の労をねぎらうための南部駒産地にふさわしい伝統行事。国の無形民俗文化財であるこの祭りは、約100頭の装束馬が鈴の音を”チャグチャグ”と響かせながら、滝沢村の鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮まで約15キロを練り歩く。田植えの終わった田んぼの横を歩く姿はまさしく岩手の初夏の風景。
盛岡さんさ踊り
東北の夏祭りは盛岡のさんさ踊りで幕が開く。平成19年には和太鼓同時演奏の部でギネス記録に認定された。延べ2万人の踊り手と1,500本の笛、そして世界一の数を誇る1万を越える太鼓と4日間で約3万数千人が参加する大群舞は圧巻。ダイナミックでリズミカルな太鼓と笛と掛け声が街中に響き渡り、この期間、盛岡は”さんさ”一色に染まる。
盛岡さんさ踊り
盛岡秋まつり「山車」
山車祭り
約300年の伝統を誇る南部藩ゆかりの鎮守盛岡八幡宮の例大祭。各町内会や同好会が趣向をこらした華麗な山車が、半纏姿の粋な南部衆にひかれ、競うように街中を練り歩く。「ヤーレ、ヤーレ‥」の囃し声が天高くこだまする。
この秋まつりが終わると盛岡の秋は一層色濃くなっていく。
雪あかり
盛岡城跡公園をメイン会場に行われるイベント。雪明かり(スノーキャンドル)の暖かくてやわらかい光が幻想的に広がり、冬の盛岡の街がロマンチックに彩られます。
雪あかり


岩手の民話・伝承
南部鉄器

南部鉄器  日本の伝統的工芸品として、国から第1号の認定を受けた南部鉄器。その歴史は古く、江戸時代には南部藩の庇護の下、重要な特産品として大いに発展する。その後、大戦時の資材不足や安価な量産品の普及等、時代の変遷による衰退の危機を幾度となく乗り越え、当時の文化を現代に継承している。
 南部鉄器の中でも最もポピュラーなものは鉄瓶。元々は茶道の湯釜が原型。近年、モダンなキッチンウェアも多数制作され始めた。これがじわじわと人気を呼び、今では全国的に南部鉄器ファンが増えている。


三ツ石神社とさんさ踊り

三ツ石神社とさんさ  その昔、南部盛岡城下に『羅刹(らせつ)』という名の鬼が現れ、あばれておりました。悪行ばかりする羅刹に人々は困り果て、皆で三ツ石神社に悪鬼退治を祈願しました。人々の祈りは三ツ石の神様に通じ、遂に羅刹は三ツ石に縛り付けられました。神様は、二度と悪さをしないように誓いの証文代わりに境内の三ツ石に手形を捺させました。(これが岩手の名の由来といわれています)
 悪鬼の退散を喜んだ人々は三ツ石のまわりを”さんさ、さんさ”と云って踊りまわったのが「さんさ踊り」のはじまりといわれています。


岩手三山伝説

岩手三山伝説  むか〜し昔のこと。たいそう見栄えが良いと、もて囃されていた岩手山。奢りから傲慢になり、妻の姫神山を追い払ってしまいました。行く当てのない姫神山は、道行きで会った早池峰山と仲良くなりました。追い払ったとはいえ、ふたりの仲が気に入らない岩手山、「姫神山を返せ」と迫りましたが、早池峰山も後に引かない。互いに頭から火を噴き上げ溶岩をぶつけ合う大喧嘩となりました。勝ったのは岩手山。その後、姫神山は岩手山と並んで立ち、敗れた早池峰山は離れた北上高地へ追いやられたという。
 この三山、今でも折り合いがつかない。晴天の日でもどれかの山には雲や霧がかかり、三つの山が同時に見えるのは非常に稀であるという話。

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